【合言葉は🖖】よくわかるかわからないモンテネグロ

○面積 13812平方㎞(福島県と同じくらい)
○人口 624000人(島根県鳥取県の中間くらい)
○首都 ポドゴリッツァ(憲法上の首都はツェティ二ェ)
○通貨 ユーロ
○民族 モンテネグロ人(43%) セルビア人(31%)ボシュニャク人(7%)
○10世紀までに半独立の公国をがあった。そこから19世紀初頭までオスマンに征服されておらず(セルビアには征服された)
○1696年にモンテネグロ主教国とんり、初のモンテネグロの名前になる。(オスマン宗主国
○1852年 オスマンと不和。軍事衝突。のちにクリミア戦争へ。
○取ったり取られたりしながらバルカン戦争を乗り切り王国となる。そして第一次世界大戦へ。
○1916年 セルビア侵攻とともにオーストリアハンガリーに負ける。同盟軍に占領される。王はフランスへ逃げ、その間にセルビア軍はモンテネグロを解放。王の帰国は禁じられ廃位ユーゴスラビア王国へ。
○第2次世界大戦中はイタリアが占領。チトーのパルチザンが活躍し勝利。
○1992年 他の国がユーゴスラビア脱退。残ったセルビアモンテネグロユーゴスラビア連邦共和国を作る。しかし各地で紛争を起こしたセルビアと徐々に距離を鶏始める。
○その後は国丸ごと含めた密輸や非合法活動の温床に、アドリア海に面していてイタリアマフィアも多く活躍した。
NATO空爆の際はセルビアから距離をとっていたので無事。
○2006年 独立
○またモンテネグロ日露戦争の折りロシアとともに日本と戦ったが講和会議の際モンテネグロの名は無く書類上は2006年まで戦争状態になっていた。(101年も)
モンテネグロはイタリア語で黒い山という意味らしい。
アルバニア人は元々バルカン半島先住民族のイリュリア人。元はアルバニア人と一緒だがローマ人、スラヴ人オスマン支配下でスラヴ化した。

○ちなみにモンテネグロは、日本の国際免許証で運転できます。

【合言葉は🖖】よくわかるかわからないアルバニア

○面積 28748平方㎞(岩手+福島県くらい)
○人口 3011405人 (茨城県くらい)
○通貨 レク
○首都 ティラナ
○民族 アルバニア人が9割
少しだけセルビア人など
アルバニア人はスラヴ系民族ではなく、ユーゴスラビアにも入っていなかった。
ムスリムが多数だったが、1967年無宗教化した。(中国などをまねて、また宗教対立から)
○1990年信教の自由が認められるが現在でも信心いない人がいる(ロシアみたいな感じ)
○こちらもオスマン、ローマなどに支配され続けアルバニア人としての自覚が生まれるのが遅れた。1928年にアルバニア王国ができる。やっと。
○2次大戦の余波で共産国家へ。
○しばらくはソ連のもとにいたが、ソ連対中国の時に、反ソ連へ。フルシチョフスターリンを批判したからだとか言われる。スターリン支持。
○毛先生の影響(しいてはスターリンの?)で無神国家へ。(史上初)
○1968年 まさかの鎖国
○1976年 文革の終わった中国を批判。(中国政府がスターリンを批判したからだとも)中米が仲良くしたかだとも。よって中国からの援助も受けられなくなり、鎖国&孤立。
○1980年 ヨーロッパ最貧国になる。鎖国中の国内はそんなに情報が流れてこないので、アルバニア国内の住民はヘブンだと思っていた。(ヨーロッパの北朝鮮と言われる所以)
○1990年 権力者が変わり外交へ。
○1992年 共産主義崩壊。国際交流復帰へ。
ねずみ講大流行。国民の大半がどはまり。鎖国でうぶだったのが原因。
○1997年 ユーゴ紛争が落ち着きねずみ講は崩壊。親は外国の会社で利益は紛争に使われるために流れていたと言う。
国民のほとんどがねずみ講崩壊と共に破産。つまり国もほぼ破産。⇒暴動へ。NATO出撃。
○開国し外国の文化にも馴染み、貧乏ながらも素敵な自然とイタリアからの食文化(すぐお向かい)なども受け入れ、元気にやってます。。。が現在。
○国旗がとても厨2で一部で有名。鷹の頭はオスマンハンガリーをにらんでいるという。

○ちなみにアルバニアは日本の国際免許証で運転できます。

【合言葉は🖖】よくわかるかわからないマケドニア

○面積 25333平方キロメートル(長野県+秋田県
○人口 208万人(長野県くらい)
○首都 スコピエ
○民族 マケドニア人64% アルバニア人25%
○通貨 マケドニアデナール

ここにきて、ブルガリアの初登場でちょっと混乱した。

○6~7世紀 スラヴ人が定住(これより以前にアレクサンダー大王とかのマケドニアの一部だった)
○15世紀 オスマントルコ支配
○1918年 セルビア人、クロアチア人、スロベニア人の王国建国 ブルガリアとごちゃごちゃ領土の取り合い。セルビアマケドニアができる。これが今のマケドニアの流れ。
○1945年 ユーゴスラビアに入る。
○1991年 ユーゴスラビアから脱退
○国連加盟
○2001年 アルバニア系過激はにより武装蜂起。(旧ユーゴスラビア最後の民族紛争)

マケドニア共和国マケドニア人はスラヴ系であり、古代マケドニア人はギリシャ系。つまり直接関係ないのにマケドニアの国名にしているということで、ギリシャとの間に論争がある。(日本や欧州はマケドニア共和国という呼称を認めていない)

1878年 ブルガリア公国ができる(マケドニア全体がブルガリアの領土に)
大きくなりすぎたのでwロシアなど大国によりブルガリアは3分割された。マケドニア地方はオスマン帝国へ。
マケドニア内のスラヴ人マケドニア分離とブルガリアへの併合を求める)(マケドニア地方のスラヴ人ブルガリア帰属意識があった)
1903年革命組織蜂起⇒失敗(オスマンへの闘争続く)併せて、マケドニアを領土にしたいギリシアセルビアからもマケドニアへ侵攻。第一次バルカン戦争(1912年)革命組織はブルガリアと共にオスマンと戦う。⇒オスマンマケドニアを手放す。
マケドニア全域を欲しいブルガリアと、マケドニアを万里したいセルビアギリシアの間で戦い⇒第二次バルカン戦争。(1913年)
○1914年 第一次世界大戦ブルガリア敗北。ギリシャ人と言わない人はブルガリアへ追放となる。
○第2次世界大戦。枢軸がユーゴスラビアへ侵攻。ブルガリアは枢軸側へつく。マケドニアを占領。(マケドニア併合の夢を実現)マケドニア内のブルガリアとの併合を望む内部マケドニア革命組織右派はブルガリアに協力。左派はブルガリアから独立した統一マケドニアを実現したかった。←チトーと組んだ。

○ちなみにマケドニアは日本の運転免許証では運転できない模様。

【合言葉は🖖】よくわかるかわからないコソボ

◎面積 10908平方㎞(岐阜県くらい)人口 180万人(三重県くらい) 公用語 アルバニア語、セルビア語  首都プリシュティナ 2008年から独立。隣国 セルビアマケドニアアルバニアモンテネグロ。  民族 アルバニア人92% (ムスリム。非スラヴ)セルビア人4% (正教徒)ボシュニャク人2% (ムスリム

オスマン時代にコソボアルバニア人が増えた(ムスリムボスニアヘルツェゴビナ紛争のとき難民となったセルビア人をコソボ分離を押さえるためにセルビアに移住。これによりアルバニア人いよる反感を買い、余計にコソボ紛争へ。(現在はコソボセルビア人はセルビア人居住区に住んでいる。その地域はEUにより両民族が対立しないよう監視下にある)
コソボは300年前まではセルビア人が住んでいた。その後オスマンが来てアルバニア人が多数来てしまった。
コソボが独立を求める運動は1960年代、1980年代にも大きな暴動が。本格的な独立運動にならなかったのは、その頃はコソボにマシな自治権があったため。
◎1990年 旧ユーゴスラビア崩壊に伴いコソボ共和国独立宣言。(アルバニア人が)⇒セルビア人がコソボ自治権を縮小。セルビア語のみの使用(学校も)警察もアルバニア人不当逮捕したりかなりの弾圧があったよう。⇒人権侵害だと西ヨーロッパで問題に。
◎1997年頃からコソボ解放ほう軍という謎組織がVSセルビア軍、警察の図式となる。セルビアコソボ解放軍をテロと認定。アルバニア人を弾圧。村ごと破壊皆殺しなど(これがセルビア軍の仕業なのか、コソボ解放軍自作自演なのかは不明)これによりさらに炎上。西ヨーロッパはこの民族紛争が飛び火することを懸念し介入。一部の國によりNATO空爆となる(1999年)
◎2008年 コソボは独立宣言するがアメリカ、日本など国連加盟国193か国のうち116か国は承認したが他はセルビア、ロシアなど未承認。ちなみに台湾の承認国は20か国。
セルビア王国発祥の地は現在のコソボにある。セルビア人二兎って故郷のようなとこ(オスマンに負ける前)民族の原点の場所を手放せない。
セルビアコソボEUに入りたいので、なんとかならんかなーという状態(EUから解決しないとダメと言われている)の2018年はコソボ独立10年目。いまだセルビアコソボを自国領として扱っている。

○ちなみにコソボでは日本の国際免許証で運転できない模様。

【合言葉は🖖】セルビアまとめ

よくわかるかわからないセルビアシリーズ。

面積77,474平方㎞(ちな、北海道が83,456くらいらしい。)
人口 7,243,007人。(面積も人口もコソボ含まず)。埼玉県の人口と同じくらい。
民族 セルビア人82%(正教会) マジャル人 3% (カトリック)ボシュニャク人1% (ムスリム)ロマ 1%←コソボ含まず。

セルビア人とは、南スラブ人。血統、言語はクロアチア人、ボシュニャク人とほぼ同じだが宗教が違う。

◎ここのローマとか来ている。
◎9世紀セルビア人がキリスト教正教会
◎1459年 オスマン帝国が支配。
◎1817年 セルビア公国成立 独立
◎1882年 セルビア王国成立
◎第1次バルカン戦争でに勝利。領土拡大。
◎第1次世界対戦後セルビアモンテネグロで セルブ クロアートスロヴェ―ン王国(南スラヴ人統一国)成立。⇒しかし民族間の揉め事多し。⇒ユーゴスラビア王国建国へ。
第2次大戦はドイツに侵攻される。元セルビア政府側はドイツ軍に対抗しきれず。(ドイツ人一人殺すとセルビア人100人殺すと言う報復をされたから)なので、セルビア人をジェノサイドの対象としていたクロアチア人やボシャニク人を報復の対象とした。
◎なので?チトーさん率いるパルチザンが活躍。ドイツ軍に粘り強く抵抗した。結果枢軸を駆逐。ユーゴスラビア民主連邦を作る。共産主義だったがソ連とは仲が悪く、ソ連支配下からはずれた。
◎うまくいっていたのも、パルチザンととして活躍したチトーがユーゴを治めていた間だけ。チトーが死ぬと民族間の軋轢が増す。コソボが独立を宣言。セルビア人との対立が深刻化。地域の経済格差 セルビア人は自民族のユーゴ内での権利が不当に低いと不満。
◎1991年 クロアチアスロベニアマケドニアがユーゴから脱退
◎1992年 ボスニアヘルツェゴビナが脱退。残ったユーゴスラビア連邦セルビア人の国とみなされる。社会主義を放棄しユーゴスラビア連邦共和国へ(セルビアモンテネグロ)ユーゴは経済制裁でボンビー。独立に伴うクロアチア紛争、ボスニアヘルツェゴビナ紛争発生。
◎1996年 コソボ解放軍による武力闘争。⇒コソボ紛争が起こる。NATOによる空爆セルビアに。
◎1999年 コソボセルビアによる統治権は排除され、国際的な監視下へ。
◎2003年セルビアモンテネグロ連合へ移行。
◎2006年モンテネグロ独立。ユーゴ解体。コソボ独立宣言。現在もセルビアコソボを独立国として認めておらず自治州扱いをしている。

○ちなみにセルビアでは日本の国際免許証で運転できます。

【合言葉は🖖】よくわかるかわからないボスニアヘルツェゴビナ



○面積 51、129平方㎞(北海道の6割くらい)
○人口 350万人(静岡県と同じくらい)
○通貨 兌換マルク
○首都 サラエボ
ボスニアヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国でできている。スルプスカってのはセルビアのって意味っぽい。
○民族 ボシュニャク人48%(ムスリム) セルビア人37% クロアチア人14%

○ローマが来たり、オスマンに征服されたり。。。
○その後オーストリアハンガリー帝国に征服される。BUTボスニアセルビア人がこれに反発。サラエボ事件が起こる。(オーストリアの王子をセルビア人が狙撃)これをきっかけに第一次世界大戦が起きた。第2次大戦の頃はドイツの傀儡となったクロアチアが支配。クロアチア人による多民族の虐殺。そして対抗してセルビア人によるクロアチア人などの虐殺がえし。(ボスニアヘルツェゴビナ紛争)
○チトーの時代は平和。異民族間の結婚も。
○チトーの死後民族対立のユーゴスラビア紛争へ
ボシュニャク人とクロアチア人は独立希望、セルビア人は反対)
○強引に選挙で独立投票。セルビア人は国内にスルプスカ共和国を作った。
それにより対する対応でボシュニャククロアチア人の衝突も発生。
○1994年 Nato空爆セルビア人を)クロアチア人とボシュニャク人を支援。しかしその後も報復報復の虐殺エンドレス。
○最終はディトン合意でボスニアヘルツェゴビナ内にスルプスカ共和国を併存することで一応解決。現在もこの形のまま。
ボスニアヘルツェゴビナのリーダーは3民族が輪番ですることになった。


○ちなみにボスニアヘルツェゴビナでは日本の国際免許証で運転できるみたい。

【合言葉は🖖】よくわかるかわからないユーゴスラビア

ユーゴスラビア(1929年~2003年)
構成民族:スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人。(主な民族)
言語:スロベニア語、セルビア語、クロアチア語マケドニア語(すべて方言レベルの違い)
宗教:正教、カトリックイスラム
◎スラヴ民族でまとまろう!のコンセプトでできました(オスマンオーストリアハンガリーから脱却)@第一次世界対戦
⇒ユーゴ王国になる⇒第2次世界大戦(活躍したチトーとパルチザン)⇒戦後実権を握る。ユーゴスラビアをまとめた。⇒チトーの死後結束弱まり内々で対立するように。
◎1991年 スロベニアクロアチアマケドニア⇒ユーゴから独立を宣言。すべて紛争に。特にクロアチアとは10年も。ユーゴスラビア紛争である。
◎1992年ー2003年 ユーゴスラビア連邦共和国設立
セルビアモンテネグロで緩やかな共和国状態
◎2006年 モンテネグロ独立。。。これでユーゴはセルビアのみになり完全に解体。
独立したいしたくないはほぼお金より民族間の問題。(1つの国家にひとつの民族がいるわけじゃない。ってかあちこちにセルビア人がいるイメージ)