【2020.9.20】
AR ゲットしてからこの日の宿へ。
この日の宿は霧積温泉金湯館です。
横川から軽井沢方面に少し登り、脇道へ逸れて15分ほど車で登ります。
脇道へ逸れる所で宿へ連絡しておきます。そうすると駐車場へ宿の人が迎えに来てくれます。
何故ここで連絡するかと言うと途中携帯の電波がなくなるから一応駐車場には公衆電話があります。もし最悪どうしようもなければ駐車場から歩いて宿へも迎えます。山道を歩いて30分だそうです。
駐車場から宿の車に乗り換えまた15分。ここは宿の関係者しか通れない道になってます。まだギリギリ日が落ちてない時間ですが森の中の道は真っ暗‥
到着し坂を下ると山の谷あいに一軒宿金湯館があります。
橋を渡ると建物にイン。
霧積温泉の歴史はかなり古いようですが今の建物は明治のが最古のよう。新しい建物は昭和だそうだ。
チェックインして通されたのはエントランスのある本館の二階。
先には別館があります。
泊まったお部屋はなんと!伊藤博文が憲法の草案を作ったお部屋だそうな!
本館は部屋数が少ないようなので本館希望したら多分ほとんどこのお部屋に泊まれます。
いいね~♪
だがしかし。
さすが明治のお部屋。窓がありません。
2間続きですが片側は押し入れ。廊下側は障子です。つまり鍵のかかるドアなどありません(笑)常に2面はいつ開けられてもおかしくない環境ということになります。居間も寝間も同じく。
民宿などドアがあり鍵がかからないとかありますがまだマシだなあと(笑)これがイザベラ バードが旅した時代の旅館か!!と感慨深い(笑)ですが一応室内ではきちんとしたカッコをしてました。障子も隙間だらけだし、廊下はしょっちゅう人が通るしね。
ここは伊藤博文が泊まっただけでなく、人間の証明の舞台になったりその他教科書に出てくる有名人が多数宿泊しています。
軽井沢が避暑地になる前はここは一大温泉地だったそうです。
西郷従道も別荘を持っていたとか。ですが、山つなみがおこりみんな流れてしまい今残っているのはこちら一軒のみとなっています。
しかし江戸から避暑にくるにしても遠いよなあ‥
横川まで汽車で来てそこからなに?カゴ?辛‥
ちなみに携帯の電波はほぼ入らずWi-Fiもありません。
次の日の旅程の調べものなどしようと思ってくると詰みます(笑)
宿から出て橋を渡るとバリバリつながりました。異界なのか‥?
どうしてものときはそこから連絡しましょう。
霧積温泉金湯館