【2019.12.29】
【キロちゃん旅】
【ポロナイスク博物館@ポロナイスク】
ポロナイスクに到着しました。
ポロナイスクは樺太時代は敷香(しすか)と呼ばれていました。樺太アイヌ語で山の手前とかいう意味だとか意味だという説も。
人口は15000人くらいの町です。
とりあえずハイウェイから木造の平屋が並ぶ通りへ。そこからすぐにポロナイスク博物館です。そんなに余裕はないけど、今日中に見れる時間に着けて良かった!
駐車場はなかったので勝手に裏にとめさせてもらいました。
入ってみると、なんとこの日は時短営業だと!あと40分くらいしかないけどよいか?と聞かれました。マジかよ!年末だからなあ‥とりあえずゆっくり見ると言うよりは今回は写真撮りまくりそれをあとからゆっくり見ることにしました。
良かったらまた来よう。
間に合っただけ良かった。
博物館内には、ドラマの鑑識のひとみたいに靴カバーをつけて入りました。多分雪の季節だからだね。
ここはガイドさんはなし。
とりあえず電気つけてくれて、一応一人フロアの見張りの人がつきました。でもずっとスマホ見てるし一応いるって感じ。
さて、気合いをいれて見学‥というか撮影開始!
見学できるのは一階のみ。一応、ロシアの生活、サハリン開拓時代?みたいな小さなフロアもありさらっと見学。
メインはなんと言っても、サハリン少数民族の展示です。ここにはアイヌ、ウイルタ、ニヴフ、ナナイ、エヴェンキについての展示がされています。すごいぞ!
樺太アイヌは千島樺太交換条約で樺太が日本領でなくなったことから北海道へ移住させられた(日本政府により)。多数は移住に不満だったよう。なので、故郷の樺太が見える宗谷ならという約束で移住したが宗谷から江別へ転居させられた‥。その後コレラと天然痘が流行り日露戦争後に南樺太が日本領になったことから樺太アイヌのほとんどは樺太へ帰ったが、数はほぼ半数になっていたそうだ。大国の都合できつすぎるだろ。1945年に樺太アイヌのほとんどは北海道へ移住。(カムチャッカに移住したひともいたよう)
ウイルタ。
樺太の東海岸に住む先住民。アイヌからはオロッコと呼ばれていた。
現在は樺太と北海道に住んでいる。狩猟や漁業、トナカイの牧畜が生活の糧であった。
宗教はシャーマニズム。
神の木偶セワなどを作っていた。
ニヴフ。
樺太とアムール川流域に住む少数民族。アイヌやウイルタとは全く別系統の民族。
ギリヤークとも呼ばれていた。
現在はほぼロシア、少数が日本に住んでいる。
ナナイ。
アムール川流域に住むツングース系民族。今までの民族は現在正教とシャーマニズムが信仰だけどナナイはチベット仏教とシャーマニズム。住んでる土地柄だね。
ナナイも「人」という意味から。
逆のがメインで暮らしてきた。
キロランケがナナイ。
ロシアに住むツングース系民族。旧エヴェンキ自治区やヤクーツク、内モンゴルなどにも住む。エヴェンキは「森に住む人」という意味で狩猟民族。住居はサミ族のものと似ている。
この5民族のそれぞれの展示がされています。
なぜ多民族の展示がされているのか?
それはおそらく、樺太時代にここ敷香のはずれにオタスの杜という先住民族を集めて暮らさせた土地があるからかなと思います。
あいぬは抜いてヤクートを足した5民族がオタスの土人教育所で日本語教育などを受けさせられました。日本語教育は受けても戸籍は日本人と区別されてたそうな‥なんだそりゃ‥
オタスがあった場所はその名残で今も多くの先住民族が暮らしてるそう。行くには渡し船じゃないといけないそうです。
道があるなら行ってみたかったんですけどね‥
ほんとにここは、来てみたかった博物館なので駆け足ですが見れて良かった!
北方民族、少数民族好きは必見です!
またゆっくり見にきたい。
★ポロナイスク博物館★
Ulitsa 40 Let Vlksm, 9, Poronaysk, Sakhalin Oblast, ロシア 694240