【合言葉は🖖】セルビアまとめ

よくわかるかわからないセルビアシリーズ。

面積77,474平方㎞(ちな、北海道が83,456くらいらしい。)
人口 7,243,007人。(面積も人口もコソボ含まず)。埼玉県の人口と同じくらい。
民族 セルビア人82%(正教会) マジャル人 3% (カトリック)ボシュニャク人1% (ムスリム)ロマ 1%←コソボ含まず。

セルビア人とは、南スラブ人。血統、言語はクロアチア人、ボシュニャク人とほぼ同じだが宗教が違う。

◎ここのローマとか来ている。
◎9世紀セルビア人がキリスト教正教会
◎1459年 オスマン帝国が支配。
◎1817年 セルビア公国成立 独立
◎1882年 セルビア王国成立
◎第1次バルカン戦争でに勝利。領土拡大。
◎第1次世界対戦後セルビアモンテネグロで セルブ クロアートスロヴェ―ン王国(南スラヴ人統一国)成立。⇒しかし民族間の揉め事多し。⇒ユーゴスラビア王国建国へ。
第2次大戦はドイツに侵攻される。元セルビア政府側はドイツ軍に対抗しきれず。(ドイツ人一人殺すとセルビア人100人殺すと言う報復をされたから)なので、セルビア人をジェノサイドの対象としていたクロアチア人やボシャニク人を報復の対象とした。
◎なので?チトーさん率いるパルチザンが活躍。ドイツ軍に粘り強く抵抗した。結果枢軸を駆逐。ユーゴスラビア民主連邦を作る。共産主義だったがソ連とは仲が悪く、ソ連支配下からはずれた。
◎うまくいっていたのも、パルチザンととして活躍したチトーがユーゴを治めていた間だけ。チトーが死ぬと民族間の軋轢が増す。コソボが独立を宣言。セルビア人との対立が深刻化。地域の経済格差 セルビア人は自民族のユーゴ内での権利が不当に低いと不満。
◎1991年 クロアチアスロベニアマケドニアがユーゴから脱退
◎1992年 ボスニアヘルツェゴビナが脱退。残ったユーゴスラビア連邦セルビア人の国とみなされる。社会主義を放棄しユーゴスラビア連邦共和国へ(セルビアモンテネグロ)ユーゴは経済制裁でボンビー。独立に伴うクロアチア紛争、ボスニアヘルツェゴビナ紛争発生。
◎1996年 コソボ解放軍による武力闘争。⇒コソボ紛争が起こる。NATOによる空爆セルビアに。
◎1999年 コソボセルビアによる統治権は排除され、国際的な監視下へ。
◎2003年セルビアモンテネグロ連合へ移行。
◎2006年モンテネグロ独立。ユーゴ解体。コソボ独立宣言。現在もセルビアコソボを独立国として認めておらず自治州扱いをしている。

○ちなみにセルビアでは日本の国際免許証で運転できます。