【2017.10.9】
この日の夜の夜行電車に乗るので、とりあえずこの日のトビリシでの時間を消化しないといけません。
早くトビリシから去りたくても時間がまだ許さず。
なんか、めちゃくちゃ観光したい気にもならない。
あの有名なスターリンは、ジョージアのゴリという町で生まれたそう。本名は ジュガシヴィリ。ジョージアっぽい名前ですね。
ゴリにはスターリン博物館があるのですが、今回そこに行く時間はありません。
しかし、トビリシにはスターリン印刷博物館というものがあり、そこに行ってみることにしました。
宿から歩いて30分弱。バスなどは無いのです。
道は工事をしていて舗装をされてなかったり、大きな穴があいてたり。歩きにくいったらありゃしない。
大通りから入った住宅街に目的の博物館がありました。
博物館と言っても二階建ての大きめの邸宅くらい。地味な看板が出ているだけ。私設博物館なのです。
館長さんはおじいさん。入館料は「こころもちで」だそう。
おじいさんはロシア語ネイティブな模様。
「ロシア語話せるか?」
と。話せないと言うと、レーニンのデスクをイメージした部屋へ通され、昔の共産党の新聞を見せてきました。
で、君たちは「キターイ」中国人だろう。同じ共産党だろう。何故ロシア語が話せない?!
と言ってるよう。
いや、日本人なの。わたしたち。
と言うと、
ヤポンスキーか!!
と驚き、フレンドリーに(笑)
案内はロシア語?英語?
と聞いてきたので、英語で!と言うと、英語は話せないからメモを見ながらね!と言って案内してくれました。
私はロシア語の単語がちょいちょい聞き取れたので聞き取れたのは夫氏に伝える…としてました。けど、共産党とか革命とか難しい単語はわかんないし。(共産主義は何回も言われたから覚えた(笑))
いつも英語を通訳してくれる夫氏はすごいなーと思いましたね。
スターリンがあのスターリンになるまでの歴史。一緒に活動していた人々の話。
ソ連の話。
地図でソ連がどこまで侵攻したかわ示して説明してくれました。
ウラー(突撃とか万歳の意)だね。そうだねウラーだねと夫氏と話していると、おじいちゃんは「ウラー…ウラーか…ウラー…」と小さい声で呟いてました(笑)
で、隣の建物に移動。メインはこちら。スターリンがアジるための新聞を秘密裏に作っていた印刷所です。
小さい小屋には井戸があります。ここが入り口。
井戸を降りて、途中の横穴を入り隣の縦穴に出て底をそこを上り、さらに途中の横穴を入ると地下の印刷所につきます。
秘密なので、はしごとかはありません。
ふつーに暗い井戸です。よくも毎回こんなとこを降りていったなあと。
隣は普通の家で、この地下に印刷所がありました。もちろん出入りは隣の小屋の井戸からですが。
みつからないように、上の家には女性が暮らし、外の見張りをし危ないときはベルを鳴らし地下の印刷機を止めるように合図したそうです。
女性たちは、スターリンたちの食事の準備などもしてたそう。
今は、地下の印刷部屋には階段で行けます。当時使っていたままのドイツの印刷機がポツンと置かれていました。
印刷機は錆び錆び。大水が昔あったそうで、この部屋は浸水したそう。当時の共産党員が水を出して元に戻したそうです。
カモフラージュの上の建物には、スターリンが当時使った寝室もありました。
いやー。私設のしかも超限定な博物館でしたが面白かった!おじーちゃんはほぼロシア語でたまに頑張って英単語なレベルだけど、超一生懸命説明してくれました。共産主義が大好きなんだなあ!と伝わってきましたよ。
積極的に私たちの写真も取ってくれたし、年号はメモで見せてくれるし、頑張ってる感あり感じ良かったです。
おこころもちの入館料は500円ほど払いましたが、かなり喜んでくれたので問題なかった模様。ついでにイチゴポッキーも渡したらニコニコで、帰りは門の外まで見送ってくれました。
Kaspi St, 7, Tbilisi, Georgia